【学校に行く必要ある?】学校になぜ行くの?学校の意義とは?今後の学校の形とは?

早速ですが、皆さんは学校になぜ行ったのですか?なぜ学校があるのでしょうか?学校に行く、子どもに行かせる理由はなんでしょうか?

おそらくほとんどの人は、こういった理由かな?といくつか挙げると思いますが、はっきりとした理由を答えられる人はいないと思います。

その曖昧な学校の意義について書いていきます。まずは学校の種類から

学校の種類

学校は、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、大学、特別支援学校などたくさんの種類があります。

今回考える学校の意義については、義務教育の小学校と中学校について考えたいと思います。

義務教育とは

今となっては義務教育として普通教育を受けるのが当たり前になっていますが、昔は学校に行くことができず、読み書きができない方がいた。(実際に私の祖父母は読み書きができなかった。)

国が国民全員に等しく普通教育を受ける機会を作るために義務教育というものを作りました。そして金銭面で教育を受けれない人のために義務教育の授業料を無償化にしました。

これが義務教育です。そしてその義務教育は、専門的、職業的ではなく、基礎的な知識を得るのを目的としています。

基礎的な知識を学ぶために保護者は子どもを学校に通わせているんです。

学校の意義とは

先ほど基礎的な知識を得るために義務教育があると書きました。

しかし昔と違って学校だけでなく、ネットがあるので、学校に通わなくても家でも学ぶことができます。

だからって小学校、中学校に通わせない理由にはならないですよね?

ということは他に学校の意義が出てきたのか、あったのか。

それを説明できる人はいるのでしょうか?まず法律等に書かれているのでしょうか?

書かれているなら周知されていないのも問題かもしれませんね。

昔の学校は?教員の立ち位置について

昔はよく

保護者
保護者

うちの子どもが悪いことしたら殴ってください

と言う保護者が多かったですし、殴っていましたよね…。そして恐怖で言うことを聞かす、と言うのが昔の学校のイメージです。

そのイメージが薄れてきているのが、良かったです。

そこから考えると上下関係、上のものを敬う、尊敬して言うことを聞くという私の好きではない、大日本帝国の流れのままだったと思います。

他にもその流れは、ありますよ?私はランドセルもその流れだと思います。

それがまかり通っていたからこそ教師は聖職者と呼ばれ、やりたい放題だったのでしょう…。

今の学校は?教員の立ち位置について

ある事件をきっかけに体罰が減少しました。しかしまだあってはならない事件もあります。逆に生徒の立場が強すぎるのではないか?ということも起きてきている。昔の教師の人からすればありえない事態だと思います。

昔と変わらないのは、子どもが悪いことしたら学校の責任というところです。

悪いことを子どもがした場合、学校の教員が殴ってでも更生させる
        ↓
悪いことを子どもがした場合、学校の責任(※現在)
        ↓
悪いことを子どもがした場合、本人と保護者の責任(こういう考えになってほしい)

教員の立ち位置が聖職者として崇めてほしいわけではなく、教員は教えることのプロという意識で働いてほしい。

更生させる仕事では、ありません。ここを理解していない気もします。

学校は、学びにくるところです。教員も教員以外の人もここを覚えておく必要があります。

教員の負担について

先ほど書いたように教員の仕事は、教えることです。

その教えるということが広すぎて、どんどん教員の仕事は忙しくなっています。

(今後はお金の勉強をさせろ、恋愛のやり方も教えろという声が多くあがり、お金の勉強や恋愛についても必修になるかもしれませんね…。)

教員は、勉強も教える、部活も教える、避難の方法も教えるなど様々なことを教えています。

ただ教員は教える仕事以外もたくさんの仕事があります。授業と部活だけではありません。授業作りだけでもとてつもない準備が必要です。

授業作り(教材研究)をやっていると教え方に答えがないので時間がいくらあっても足りません。今風に言うと時間が溶けていきます。

様々な仕事をしているにもかかわらず、教師ガチャと呼ばれ、授業力がないだのと言われてしまう。

そりゃ教員目指す人減るよね〜笑

優秀な人ほどやめます。これからやめる人が続出してより教師ガチャの確率が減りますね〜

今後の学校の形とは

今後の学校の形を勝手に考えていきます。

まずは今の現状(曖昧さ)を認めてもらい、洗いざらい変えていかなければならない。

  • 子どもの責任を学校が第一ではなく、保護者にする。(これは法律でも書かれている。)
  • 部活動を教えたい教員を部活動指導員に移行していく。
  • 学級運営と教科指導を分ける

子どもの責任は誰が取るのか?

私が一番変えなければならない思っているのは、子どもの責任を学校が取るということです。

子どもの第一義的責任は、保護者です。何かあれば保護者の責任です。これが1番の前提です。

以前ニュースで見ましたが、登校中に友達に悪口を言われて学校に行くのが嫌になり、不登校になった。

もちろん不登校になった児童生徒への対応は、学校としてするべきことです。

しかし登校中の安全確認などは、保護者の責任です。学校が関与できるところではありません。教員の業務外ですし、業務時間外です。

そこをわかっていない人が多すぎる。夜中に子どもが繁華街にいる、悪さしているで、昔は教員が出ていたかもしれませんが、そこまでやるのは教員をしていた人の優しさに甘えていただけです。

変わっていかなければ…。

今後は教えるの内容を絞っていかなければならないと思います。

部活動を教えたい人は部活動指導員に

5教科と副教科、総合、道徳など以外の教えることに関しては、外部委託をもっと増やしていくべき。部活動指導員も全く浸透していないように感じる。(教員になった人が部活を教えたいという理由で教員になっている人が多いから)

部活を教えたい人は、部活動指導員に移行していくべきです。

学級運営と教科指導を分ける

学級運営と教科指導を分けると聞いてどういう意味かわからない人が多いと思います。

わかりやすく言うと担任に授業をもたさないということです。

担任には、クラスの子どもに必要なことを企画してもらい教科指導の教員には教科のことに集中してもらうということです。

プロ野球もそうですが、学校も完全分業制にするべきです。何でもかんでも1人の教員に抱え込ませすぎです。

まとめ

教員に関する責任、役割が時代時代で変わっているはずなのに、足し算のように増えていっている。

しかし、現代は餅は餅屋というのが一番あっている気がする。専門性を高めるためにも完全分業制をとるべきです。

部活動を教えたい人は、部活動指導員に。

子どもの集団に対して教えることを専門にする担任。

教科の専門性を高める教科指導専門の授業者。

そして子どもの責任を学校ではなく、保護者にあるということを周知するべきです。

そうすることによって学校に行く意味が増えていくと思います。

集団として学び、個人としても学ぶ、そして好きなことを伸ばしていく。この三つが学校の意義である。

そうすれば自ずと学校に行く意味がみんな見えてくるのではないだろうか。

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