Admit Fuzzy 〜曖昧さを認める〜 とは

曖昧なことにありふれたこの世界で自分って変わっているのかな?

人と違うってダメなことなのかな?と悩んでいる人、新しいことをして笑われた人

普通、常識、当たり前と言いくるめられた人など

何かに悩んだ時に読んでもらえたら嬉しいです。

はじめに

 みなさんは曖昧と聞いてどう思いますか?

「はっきりしてよ!!」

と思う人が多いかと思いますが、私は世の中は曖昧さで溢れていると思います。

だからこそ皆さんははっきりしてよ!!と思うんだと思います。

しかしその曖昧さって人それぞれ違ったり、時によってなくなったり、

そのままにしていたりなど姿形も曖昧です。

 私が何を言いたいかが今一番曖昧じゃないの?と疑問が飛んできそうですが、

それもひっくるめてのFuzzy(曖昧さ)Admit(認める)してほしいと思います。

そんな世の中の曖昧さを一緒に考えてもらうために色々と書いていきます。

曖昧でいいんだと思ってもらうために一緒に考えていきましょう!

 生きてて息苦しいな。私って周りとちょっと違う?今から新しいことを始める。

少数派の考えや価値観をお持ちの方などにこのブログを読んでいただき、

あっこんな考え方があるんだ。こんな人がいるんだと少しでも元気になってもらえたらと思い、

ブログを立ち上げました。

こんなことで悩んでいますなどがあればコメントしてくれたら、取り上げます!!

(どうせ誰も見ないよと自己満で始めました。全て自己満の世の中ですよ!!!)

ロゴについて

 このAdmit Fuzzyのロゴは、旦那が書いてくれました。旦那がグラデーションって色めっちゃ曖昧よなと言いながら作成してました。結構2人とも気に入ってます。

 白も黒もアンミカさん曰く、たくさん種類あるみたいですもんね。白黒はっきりさせるのも大事ですが、いろんな白、黒があるんだよという意味でこのロゴにしています。

 世の中、白黒はっきりしていません。白黒はっきりしないといけないことも勿論ありますが、ほとんどが曖昧です。

 一緒に曖昧さを認めて、自分を認めて自分らしさを出していきましょう!!

Fuzzy(曖昧さ)とは

一般的な『曖昧さ』とは、物事が確かでないさま、あやふや、不明瞭といった意味である。

このブログでの『fuzzy 〜曖昧さ〜』

簡単に言えば『なんでもええやん!』です。

曖昧さとは?(もっと詳しく)

育ちの悪さが出てしまってますが、生きてると答えのないことに直面することってたくさんあると思います。

今日の晩ご飯をお肉にするか魚にするか…。正直その時の気分ですよね?

人それぞれ気分は違うだろうし、いざ食べようと思った時は、「やっぱり麺がいいな〜」なんてこともあるかもしれません。

野球で代打には初球変化球から入るセオリーがあるみたいですが、別にストレートでも良くない?と私は思います。

簡単なことで例えましたが、私が言いたいのは何でも選択する時は、『なんでもいいんですよ』ということです。結果論でここはこうしとけば良かったという後悔は、高確率であります。それを次に生かせばいいだけです。そしてその決断は、自分で考えて決断しなければなりません。自分を曖昧にしてはいけません。そうすると何かのせいにしてしまうから。

人生を決める分岐点などでは、こうでなければならないといったことを優先するのではなく、ここだけ譲れないといったこと以外は全部曖昧で良いんですよ。

はっきりしすぎると自分の首を絞めることになりますし、見てる周りも正直しんどいです(笑)

何かに囚われずに柔軟に考えるためには大切なのは、Fuzzy(曖昧さ)だと私は思うんです。

人の心もFuzzyじゃないですか!歳とったら変わるし、明日になったら変わるし、違う人に同じこと言われて変わることもあるし・・・・・・。

そういったことを普段からしていくと仕事などで独創的なアイデアが出てくるんです。

私はこの考え方を実践してきて、周りからなぜそんなアイデアが出るのか?と聞かれることがあります。

admit fuzzyの考えで、普段から普通、常識、当たり前など決めつけないようになぜこれはこうなのか?と疑問に思っているからです。

周りから変わっている人と思われていますが、その変わっている人がいるからこそ新しい技術が増えるのです。

曖昧さ耐性

曖昧さ耐性が今後必要になってくるということをたまに聞くことがあります。

私が言っている曖昧さを認めるというのは、その耐性があるかないかではなく、まず曖昧なんだよということを理解することにあります。

耐性ということは自分のことだと思います。曖昧さを認めるのは自分だけでなく、他人、社会など周りも含めてです。

学校、家庭でこうあるべき、この時はこう、こうしたら怒られる、普通はこうなどを言われ続ける、繰り返すと曖昧さの耐性がなくなるのではなく、曖昧がダメという風になりかねない。

『常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう』という言葉があります。

18歳までとありますが、大人になってからも続く気がします。

最後に

 成功する人は、人とは違うこと、人がしないことをしている。私が尊敬するイチローさんもそうです。『人に笑われてきた。』と。

 イチローさんが当時笑われてきた発言やすることは、形になると誰も笑わなくなりました。

人は形や目に見えないものなど(Fuzzy)を笑ったり、認めようとしない人が多い。ただイチローさんは、それをFuzzyだからこそ努力しただろうし、間違っていないと自分を信じていたと思います。

そして掌を返したようにイチローさんに近づく人もいたと思います。結果が出たからどうとかでなく、人が頑張っていることや頑張ろうとしていることを笑う人になって欲しくない。

イチローさんとは違いますが、私は変わっている、人と違うと言われてもいつか私の考え方が誰かの心に刺さって、その人たちが幸せな気持ちになってくれたら良いなと思っています。

人と違って良い、普通じゃないと言われても大丈夫、常識に囚われなくても良い、世の中正解がないFuzzyだからこそ、なんでも良い!大丈夫と思ってがんばりましょう!!

もちろん決めないといけないことを世の中にはたくさんあります。曖昧にしてはいけないこともあります。

でも人の生き方には正解はありません。そこの曖昧さをみんなで認めていきましょう。

誰もが生きやすい世の中になりますように。

Admit Fuzzy

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